数年前に京都に遊びに来た妹と永楽屋さんにふらりと入った。中国の人々は、求道者みたいの職人、老舗に惹かれる。自分も京都の老舗について、中国国内の共同論文集で一度取り上げた。
数年前に京都に遊びに来た妹と永楽屋さんにふらりと入った。中国の人々は、求道者みたいの職人、老舗に惹かれる。自分も京都の老舗について、中国国内の共同論文集で一度取り上げた。
そして昨年、香港メディア「鳳凰衛視」のある女性プロデューサーから、いままでの制作経験では、文化と老舗がとても人気で、日本はまさに魅力的な老舗大国だと聞いた。
ありがたく京都100年企業研究会林勇作先生のご紹介を得て、自分も卓上の論からやっと取材へ最初の一歩を踏み出した。永楽屋の芸術家と職人たちの創意工夫、堅実な家訓、危機時代の原点回帰と改革に触れる貴重な機会でした。
玄関から美術館成立を祝賀する花が店内に続く。よく見ると京都文化界の錚々たる方々のお名前も並ぶ。
岩子圭介取締役が手渡してくださった手ぬぐいチケットは、斬新で、伝統文化要素と未来志向の脱炭素要素を兼ねていた。さらに美術館の銅素材と手ぬぐい展に関する解説は、武士たちの綿から日本の綿歴史、注染の技術、タオルがもたらす危機、日本近現代美術史と風俗史、永楽屋の変遷史のようだった。
織田信長公の御用商人として活躍し『永楽屋』の屋号と細辻の姓を拝領し、永楽屋細辻伊兵衛商店(えいらくやほそつじいへえ)は、江戸時代初期の元和元年(1615年)に日本最古の綿布商として創業、400年に渡って商いを続けていた。株式会社永楽屋は、手ぬぐいを中心とした日本の染織製品製造小売会社。
目の前で取材に答えた細辻伊兵衛代14代目、美術館館長は「素材と過去への敬意」に言及した。糸や染色素材だけではなく、美術館展示用の照明ライトなどにもこだわった。
コロナの中、博物館の多い京都であえて美術館を作ったのは、「温故知新」のため、「世界に見せたい、本家にしかないもの」のためだといい、また「あくまで実用性を守る」と答えた14代目。
第15代目に守ってほしいものは?と聞いたら「時代が変わるので、わたしと同じことをしても無理なので、いままでご先祖の蓄積を習えた上で、自分の手で新しい世界を切り開いてほしい」と。
二階で学芸員家村祐香さんの紹介では永楽屋の先祖家訓、有名な美術家とのコラボで新たな美の試みは対照的だった。一方は古い算盤と印鑑、一方水墨で祇園の鉾から雲竜を表現した14代目の屏風手ぬぐい作品、蛙が自由に満開の睡蓮の間に飛躍する、著名画家木村英輝とのコラボ。
幕末と明治維新の時の8代目は経営に興味ないが、京都博覧の公益に貢献。工房の反対と家族会議で分家される苦悩に共感を覚えた。第10代目の遊び心が溢れる『レントゲン舞妓』から、年に100のデザインを出す黄金時代の百色会の賑わいが目に浮かんだ。また戦前と戦後を潜り抜けた11代目についても、もっと知りたい。
中国語ウェイチャット版:专访日本最古老的棉布商永乐屋:“给世界看我们家才有的” (qq.com)